7677. 宮沢批判とも読める記事

を和田一郎先生が書いている。

(以下、引用)

政策の評価を分析すると、わが国はおおよそこのパターンに落ち着きます。 (1)新たな危機に対して、初期対応システムは奇跡的にうまくいく。
(2)初期対応への批判に迎合して政治主導によりシステムが取り潰される。
(3)他分野の専門家や著名人が入り、経験や体験談、的外れのエビデンスをベースとした新たな議論が始まる。
(4)誰も責任を取らないような総花的な提言等しかできず、本質的な対応ができない。
(5)情勢が悪化するも、誰も責任を取らない。よって支援や補償もない。
(6)過酷な国民の負担と頑張りによって何とか持ち直す。
(7)最初に戻る。

(中略)

さて、海外の専門家からの評価から一転して、国内では、「何もしなかったら42万人が死ぬといったが死ななかったのではないか」「経済が死んでしまう」「あんな自粛は要らなかった」「感染者が増えていないのではないか」などさまざまな批判が出てきました。クラスター班の中心であり自ら矢面に立った西浦教授への個人的批判も見られました。

西浦教授の感染モデル以外に新たな仮説を考え、自粛はいらなかったなど言い始めるのは、後出しじゃんけんです。振り返ってみてあとからこうだったというのは、非科学的でありまったく批判に値しません。特に西浦教授の「接触を減らすなどの対策をまったくとらなければ42万人が死亡する」という試算は、世界のトップ大学が集まった頭脳集団の試算よりも精密で事実に即していたことは、社会福祉のデータサイエンスの専門家として付記しておきます。

(中略)

コロナウイルスはインフルエンザぐらいの影響しかないのだから、百万人くらい感染させても、毎年1万人ぐらい死んでも大したことはないという意見はもっともですが、その1万人にわが子が含まれていたら、その家族の気持ちはどうでしょうか? その悲しみの輪は社会にどのように影響を与えるのでしょうか。生活や未来の不安がどのように人の行動特性を変えるのでしょうか。

https://toyokeizai.net/articles/-/360784?page=3

読むとスッキリします。本当、言いたいことを書いてくれてるわ。

1万人が我が子ではなく、我が親で、80歳以上ならもう死んでもいいと思う人たちは、親に「譲るカード」を書かせておいてね。赤の他人に自分の生死感を押し付ける前に、家族で話し合って。

私は、我が子に長引く「後遺症」と付き合う人生を、許容しろとは言えない。いずれは科学がウイルスを越えられると信じてるから。結核でバタバタ死んでた時代を懐かしむような美化するような発言を、科学者がする方が信じられない。