6027. 余命読者の脳構造

は、2チャンネルのコメントを読んでも理解が可能だ。

彼らは、一貫性を無駄に求める。

周りの状況がどう変わろうとも、最初にやったことから動けない。

動くとそれで「転向」したと非難されることを恐れている。

だから、どんな判決が出ようと、どんなトンデモ答弁書を見ようと、最初に出した「余命を信じる」と決めたところから動くことができない。

5790. フットインザドア法

19. コミットメントの一貫性

私は最初は和解一択をお勧めした。和解金5万より安い判決(3万あるいは棄却)は滅多に出てない。11万の判決よりも5万の和解金の方が安い。今でも、その判断を下していちはやく逃げた人は正しかったと思う。いつ特別送達がくるか、取り立てがくるか、ずっと怯えて暮らさなくてもいいのだから。

その後は「提訴されて初めて目が覚めました」という人ばかりだ。

この場合「和解金は5万から10万に値上がりする」

11万の判決と比較してしまえば金額上のメリットは少ない(33万の満額が出る可能性もある)。和解の最大のメリットである「裁判で名前が出ない」は提訴された時点で失われている。このように条件が変われば結論も変わってしかるべきなのに、そこをどうしても理解できない脳構造をしている。いわば「シワが少ない」状態だ。

周りの状況は刻々と変化する。情報も蓄積していく。判決が出てなかった時代と、判決が出はじめた時代、判決が出揃ってからの後の判断は違っても、その時その時の最善を考えることが出来ない。

それが今、残っている余命読者の思考パターンだ。

 

私は後世に残す判例として、余命謹製トンデモ答弁書によるオウンゴールの山であってはならないと考える。弁護士がメンツをかけて戦う怪獣大戦争の結果、判例が固まることを希望する。

900人が最低2回は訴えられる。1800を10で割った180通りの判決の中には、ちゃんと最初から弁護士をつけて「総額上限論」「受忍限度論」を戦わせたものが、一定数あるべきだと考える。

ここが肝心なところだが、別に全てがそれである必要はない。

頑強に余命を信じたい人がいて、とんでも答弁書によって満額判決を食らう人もいても構わない。

悪い見本と良い見本、両方が揃ってこそ、良い教科書が残る。

ここも重要なことだが、受忍限度論が通じようが通じまいが、私はどちらでも構わない。決めるのは裁判官だ。ただ、複数の裁判官がまともに考えて下した結論が最終的に(まだ半分も終わってない)一定数あればいい。

私にとって、余命裁判ってのは、そんなもんだ。

あらゆる選択肢を提示し、選ぶのは「被告」の自由意志。

悪魔は自分ならこれを選ぶとお勧めはするけど、悪魔を信じるも信じないも、ご自身の選択です。

他の選択肢を比較できる程度に「しわ」が増えた人は、自らが選んだ選択が自己責任だと言うことは十分に理解されている。どんな結果になってても選んだ自分の責任と、私を責める声は出てきません。

って言うと、時々、私が思いもつかないパターンの道を行く人がいるんで、人間の多様性ってのは面白いと思います。