4819. 大きくvs小さく

三宅さんは社会問題として、なるべく余命を大きく見せたがっている。

私は、余命をネトウヨ界隈の片隅の「箱庭」と称し、なるべく小さく見せたがっている。

どちらが余命と余命読者を喜ばせるか、それは明らかに前者だ。

余命は力を誇示したがっている。自分たちに注目を集めたくてやっている。以前は書籍を売るためだったが、今は信者が何か「効いてる、効いてる」と感じて自己満足し、その結果、余命に寄付をホイホイ出してくれることを望んでいる。

一方の私は、余命チームが弱体化していることを「可視化」しようとしている。どんなに「正義」だと叫んでも、もはや、ネトウヨ界隈ですら相手にしない情報弱者として小坪ブログからも損切りされている、離脱者も出ていると、「大本営発表ブログ」が扱わない事実を掘り起こして伝えようとしている。

確かに、大量の不当懲戒請求が来ることは「弁護士自治」への挑戦で、大迷惑な話だったので、弁護士会の会則の変更(簡易棄却制度)は必要だったが、単位会全員懲戒請求は「会長声明」で防いでおいて、会則の変更は成し遂げられた。当初の問題は解決へ向かっていると思われる。

残る問題は、「加害者多数」「首謀者は手を汚さない」橋下伝統の手法に対する損害賠償請求訴訟が、「末端実行者」と「煽動首謀者」に対して、どう判例が確定するか、法曹界全体の問題と考えることだろう。思想の問題に矮小化すべきでないとのノース弁護士の言葉が、端的に問題の本質を捉えている。

だが、それは我々、法曹クラスターに属さない人間の感情とは、離れた土俵で決められてしまうことだ。こちらは見守ることしか出来ない。

余命三年時事日記って真に受けていいの?スレのタイトルが雄弁に物語るように、最初からあのブログは「真に受けてはいけないブログ」。それは先日の余命記事でも余命本人が「余命三年時事日記は有事を前提とした妄想ブログである。信じちゃダメだよ。」https://yomeireturns.wixsite.com/blog/post/%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%95%EF%BC%90-%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%EF%BC%91%EF%BC%96

と書いてる通りなのだ。

我々、反余命界隈が、余命ブログをせっかく潰したのに、三宅さんが水をやって大きく育てようとしてるように感じる。メシの種にしようと思えば、仕方がないことだが、邪魔しないで欲しいもんだ。

神原弁護士に720人が訴訟したことを三宅さんは日刊ゲンダイの記事に何度も何度も書くが、佐々木弁護士への訴訟は100人、島崎弁護士へは四人、北弁護士へは三人なのだ。キャパが小さいくせにホイホイと大口の訴訟を受けた横浜地裁に比べ、事務官が優秀なんだろう東京地裁が体を張って選定当事者訴訟の濫訴を止めてくれて司法の正常化を図ってくれている。その事実を報道しないで、7億だの3億だのの数字を何度も紙面に載せる。センセーショナリズムに毒されたタブロイド紙だから、その程度のルポが求められているのだと言い訳するかもしれませんがね。

余命読者にホルホルするネタを与え続けているのが、あの連載だと思えて来る。

三宅さんの言葉からはこの余命事件を早く終わらせたい気持ちは見えてこない。