4492. 当事者の気持ち11

(コメントいただきました)

【4476記事】

「信じている」の対象は書かれていないのですが、当然「余命ブログを」ということでしょう。では具体的にはそれの何を指しているのか?と深読みしてみると、「余命ブログの一字一句を?」「余命ブログの“一番過激な思想”を?」と疑問符が出てきます。「余命ブログ」って膨大な情報量なんですよね。そして「悪文」との定評がある(和解後に知ったことですが)。
アエラの記事に鳥海准教授が登場して「人間の情報処理能力には限界があり、ネットの膨大な情報をすべて受容することはできない」と言っています。
つまり、人によって取捨選択して認知しているというわけです。

さらに、余命読者って、「記憶力が悪い」という特徴があるタイプがおりましてですね(苦笑)。私はまさにそのタイプなんですが、だから、あのブログの数々の矛盾に気付きにくかったのです。
そして私は、難しいこともあまりわからない。「コソボ・クリミア方式」なんて、全く頭に入ってこなくて、理解できてないし、興味もありませんでした。
むしろ「有事」の例えは、極力そんなことになって欲しくない、という思いを持っていました。しかし、「もしそうなってしまったら、身を守りたい」という気持ちは喚起されていました。
余命の悪文は、「理解できないのは自分の頭が悪いからだ」と思っていました。

そして私は「日本万歳!」みたいな人を冷ややかに見ていましたし、たまーに「差別意識むき出しなコメント」などがあったかもしれませんが、そういうのにも興味はありませんでしたから覚えていません。もちろん私は、デモなんかに参加するようなタイプでもありません。。
また、「レターパックが届きました!」とか「サインして送りました!」とかいうコメントもまた冷ややか~に見ていました。私が告発や懲戒請求に参加したのは、あくまでも朝鮮学校補助金についての問題意識ですし、「民族丸ごと排除しろ」とか「朝鮮人は〇ね!」なんて思ってなかったですよ。
ただ「有事の際」に、隣国の法律では文民が兵士になると聞かされて、それは怖いと思ってはいました。その程度の「偏見」はありましたけれども。

約1000人もいる人間に対して、思い込みや決めつけで妄想を膨らませて、自ら敵を増やしているとしたら、それはかつて余命に煽られて恐れを肥大させていた私の姿に重なってしまうものがあります。ま、「ネトウヨのお前なんかと一緒にするな」ということでしょうけれども(苦笑)。私が和解した後に知ったことなんですけれど、ある外患罪の告発をした人がその理由を「戦争にならないためにした」、と言っていたんですね。そんな動機の人もいたということを、この方の「信じたい事実」に照らしたら許容できるようなことではないでしょうから、「レアケース」としてスルーするのでしょうね・・・。

(以上)

そんなもの、意味あるか!レイシストは黙れと、どっかの界隈の方は言われるだろうけど。一当事者の意見を記録に残しておきます。

何が真実だったか、後世の人が判断するでしょう。