4459. 4444を読んで2

4458. 4444を読んで1

4444. 排外主義

続きです。

また、「余命ブログ自体が排外主義であり、それを好んで読んでいたのだから排外主義者だ」という見解もあります。これについては「余命ブログは偏見を助長する危険のあるブログ」であるということには同意します。
しかしながら、悪魔ブログ「4451在日から見た余命ブログ」にて、韓国系日本人の方が「余命ブログの大まかなものは事実である」「余命ブログ全てを否定はしない」と言っていることからしても、余命ブログを批判する人は、果たして全体の何%の記事を読んで言っているのだろうか、という疑問も生じます。

余命読者ですら、まともに読んでない「余命三年時事日記」

ましてや「自称」ジャーナリストや、余命を叩いている左翼人などは、大して読んでないでしょう。

4451. 在日から見た余命ブログ

初代の頃の余命ブログは、2チャンネルの情報の集大成のようですね。100%現実化してきた、事実しか書かないブログと刷り込みましたが、本当の詐欺師は99%の事実の中に1%の嘘を混ぜる。

読みにくい、主語が書いてない、時制が一致しない。確定した事実を、まだ起きてないように書いたり、過去に描いたことと矛盾したことを書いたり。

かなりの破綻があっても、余命ブログを信じる人は丸ごと100%を事実と信じました。

一方の、批判する側は、残り1%と言うには多すぎる「嘘」のところを集中して、そこだけ見ます。

そして、ある報道が「日本再生のガンとなっている在日韓国人」「在日と反日勢力を駆逐しよう」という表現を問題視していました。
私は指摘されていた余命ブログの該当記事を再度読みましたが、これらの表現は省略された形で用いられていて、文脈からして本質的なところは「在日全員を対象としたものではない」ということです。例えば「日本のパスポートは世界最強と言われる。これは日本人の海外での行いにより得た評価である」と言ったとしましょう。この場合の「日本人」とは、「日本人全て」を指すものではありません。日本人にも凶悪犯罪を犯す人もいれば、海外で良からぬ行いをした人もいます。しかし上の文章は、評論的表現としては間違ったものとは言えませんし、いちいちそこを突っ込むのか?という話ではないでしょうか。

まぁ、揚げ足取られるのも不思議はないブログですから。

4400. 帰化人の気持ち

さらに、悪魔ブログ「4440帰化人の気持ち」の「在日朝鮮人三世で帰化人の金田さん」が、「日本という国は『反日』という癌を駆除していくのをもっと積極的に行い、それこそ、法を厳格に適用して反日を潰していく事が必要なのではないか」と発言しているように、これもまた同様に評論的表現であり、「癌」「駆逐」という言葉を使ったからといって、いちいちそこをあげつらうのか?という話だとも言えます。

比喩的表現を「比喩だ」と読めない人は、一定の割合、いらっしゃいます。

わかっててやってる場合もありますね。

結局余命ブログの問題とは、「詐欺師の用いる手法」が散りばめられていて、人心をコントロールする仕掛けが施されていたところにあります。そこを見抜けないと、どこぞの自称ルポライターのように「どうして余命なんかの言うことを鵜呑みにするの?わからない、ワカラナ~イ」といつまでもループをぐ~るぐる巡っているままになってしまいます。この稿全編を通して言いたいことは、「もっと人間心理というものに対する理解を深める必要がある」ということです。

詐欺師に引っかかったと言い訳するなと言う声が聞こえてきそうです。

でも、私は前から「自己啓発セミナー」なんかには、意識高い系の方が引っかかると思いますし、心が風邪をひかない人も少ないと思っています。

この件は思想の問題に矮小化すべきではないのです。

4126. 普通の人

私自身はかろうじて「余命というドグマ」から目覚めることができましたが、今先頭に立って法廷闘争を闘おうとしている読者たちは「相当煮詰まってしまった人たち」で、その姿を見ると余命読者に対する偏見がますます高まるだろうと危惧されます。懲戒請求者は約1000人もいますし、その「全員」が同じように「煮詰まっているレベルだ」と決めつけたらそれはまた乱暴な見方であり、「憎悪の連鎖」を強化する方向に作用します。「煮詰まってしまった読者たち」は、ある意味「福祉案件」であり、「教祖余命」が捕らわれたとしても目が覚めないレベルにまで到達している可能性もあります。彼らを批判するのは「正当」でしょう。しかし、あえて彼らも含めて言いますと、本当に差別を無くしたいのであれば、「罪を憎んで人を憎まず」を地で行かないと難しいだろうと思います。それなくしての「ネトウヨ批判」であれば、またアエラ渡辺さんの指摘を実行していなければ、真の問題解決にはつながらないものであろうと思います。

私は「自称」ジャーナリストに理解なぞできるはずがないと思っています。だって、理解する気が最初からありません。この件は、ヘイトクライムでなければならないと決めつけてますし、残虐で殺戮がなければニュースバリューがありません。

そして、反差別という「正義」を掲げる側に理解を求めることそのものも、無駄だと思っています。彼らは彼らで「正義」が暴走あるいは劣化して、初めて身にしみて理解できるでしょう。

私は、余命の件は、我々ネトウヨで決着をつけねばならないのだと悟りました。一時期は、プロである弁護士さんが「法廷」と言うホームで戦うのだから、もう私の出番は終わりだと引退を決め込んだのですが、やはり、身内の恥は身内で始末するもんだと思うに至りました。

その役目は本来は余命の顔を知るものたち、小坪市議あるいは瀬戸氏だと思ったのですが、彼らはビジネスのしがらみが大きい。

カミカゼ氏はそよかぜしか吹かせない。生業が青林堂一本打法の人には無理。

となると、何も持たない「非営利の個人ブロガー」が引導を渡すしかないのだと思います。

ネトウヨにも知性はある。だから、99%は離れたわけです。大仰に騒ぎ立ててる「後から来た」ルポライターが、わかりたくない事実です。

私は、誰がなんと言おうと、誰に理解されなかろうと、己がすべきことと信じたことを貫きます。

余命から離れて、もう政治はこりごり、パートのおばちゃんに戻りますって別れの言葉をくれる人は多いです。それはそれで、いいと思う。

一方で、「花菱」さんのようにたまに戻って来てくれる人、コメントをくださって私を支えてくださる読者、いろいろの立場で、いろいろの形で、皆さん力を貸してくださる。私は、ネトウヨ界の良心になりたいです。

かつて、カタカナさんと私は分かり合えてました。右と左、立ち位置は違っていても。

見る人が見れば、わかる。わかる人には、わかる。そんなもんかと。