4458. 4444を読んで1

コメントいただきました。長いので分割し、いただいたコメントはカラーバックで、私のコメントはバック抜きで交互に記載します。

4444. 排外主義

きよさだ‏ @kiyosada11 10時間前 
ある特定の国が嫌いというのは理解できる。だが、ある国籍や人種、民族だからとひとからげに憎悪し排除するという排外主義は理解できないし、許容できない。俺は排外主義者のことをネトウヨと呼んでいるのだが、ネトウヨと議論する気もない。
きよさだ‏ @kiyosada11 · 5月12日 
余命ブログにかかわるやつは全員ネトウヨ

つまり三段論法によって、この方は「余命ブログにかかわるやつは“全員”排外主義者」と言っていることになりますね。
私は和解者ですから、当然こうカテゴライズされるでしょうし、余命事件を「ヘイトクライム認定」したい方々もほぼ同様の心境でしょう。

私は懲戒請求を出してませんが、「死ねばいいのに」と言われました。

4293. 死ねばいいのに

去年の10月、アエラが余命事件を取り上げましたが、私はこの記事によって救われました。
https://dot.asahi.com/aera/2018101900013.html
結論に「誰もがメディアの発信者にも受け手にもなる時代。玉石混交の膨大なネット情報を前に私たちにできるのは、自分の『正義』を常に疑い、少しでも真実や本質に近づこうとする真摯な営みを重ねることに尽きる。差別や偏見をなくし、議論がかみ合わない社会をどう克服していくかは政治の左右のスタンスを超えて問うべき課題である。(編集部・渡辺豪)」とあります。この記事以外では江川さんのカルトの切り口のものを除き、私が見聞きした限りではすべてが「左右の対立軸」から一歩も出ていない報道でした。
その対立軸のフィールドから出ることができた今の私から見れば、そこから発せられた言動はみな、「憎悪の連鎖」を止めるどころか、その火に油を注ぐものだと感じます。

政治では左右の対立、カルトでは善悪の対立、二元論は簡単で人を引きつけます。

事実というものはそう単純なものではないのですが、人間というのは誰でも「複雑なものを複雑なまま理解する負荷を減らすために単純化する」ということをします。その処理過程に「予断、偏見、レッテル貼り」があり、「頭の中の棚」に類似のものを見つけ、あるいは「理解したくない棚」を作って、次々と事象をそこに放り込んで収まりをつけ、理解した気になります。自分の理解の体系の方向に合わない事実に直面したとき、「真実とは何か」「よりよい選択とは何か」などを知ろうとする動機が低い場合、「スルー」「相手の言うことはウソだとする」「曲解して相手をバカにする」「論点をずらす」などの行動を取り、自分の理解の体系の方を守ろうとします。
「排外主義」の根底には「自己防衛」がありますが、「議論をしない」の根底にもまた自己防衛があります。この観点において、余命読者と、それを「ヘイトクライム」だなどとレッテルを貼りたがっている人々とは、「人間臭さ」においてそう変わりがあるものではありません。

私は「ネトウヨだけど反余命」という特異点です。この立ち位置は、なかなか人には理解できないので、あっちからもこっちからも罵倒されます。

立ち位置でしかものを見ない人は、是々非々に「行動」を見ることをしないので。

「自分の時間をどう有効に使うか」という観点から「徒な議論はしない」という判断をすること自体は賢明なことだと思いますが、わざわざその意思表明をネットに載せて全世界に発信するというのは、実はその裏側で「対立を深める行為」をしてしまうことにもなる、ということが、アエラの渡辺さんの真摯な提言を読めばわかってくるのではないかと思います。

所詮は、ツイッターというのは、自分の気持ちを吐き出すものか、自分に注目を集めたい場か、暇つぶしか。

必ず議論をしなければならないってもんでもないでしょう。ブロックもしたければすればいいし、「話し合わない」宣言もする自由はある。

私は「余命ブログに関わった“全員”の中に含まれる=ネトウヨ=排外主義者」とレッテルを貼って頂いた者となりますが、余命ブログの読者であったときから、「国連から犯罪国家のボスと認定された、かの国の国家元首にひどい目に遭わされた人たち」のことを憂いていました。
具体的には「拉致被害者とその家族」「命からがら逃げだしてきた脱北者の在日朝鮮人」「現地の上級国民の平壌以外の、自由が全くない、文字通りすさまじい人権侵害を受けている一般国民」のことです。

何を奥歯にものが挟まったような言い方をする? 北朝鮮とはっきり仰い。

それと、私が懲戒請求に参加した理由は「朝鮮学校補助金問題」が主題だったことにあります。
補助金に反対しているのは、「元朝鮮学校生」「元朝鮮学校教師」にもいますし、脱北者の川崎栄子さんは「朝鮮学校に通わせること自体が人権侵害だ」という主張をしています。さすがに私はそこまでのことは思いもしませんでしたが、補助金に反対している当事者もいる中、「補助金反対なら差別主義者」と決めつけることには断固反対しますし、健全な議論を妨げないで欲しいと思います。

ここは激しく同意です。

人道的って、何が本当に人道的か、その議論すらさせない「リベラル」も問題だと思います。

子供達の教育の権利は保証されてます。無償化と誤記する人がいますが「補助金」ですし。たとえ朝鮮学校が潰れても、普通に地元の学校に日本人と同じく通う「同等の権利」を有しています。子供の教育の機会は奪われていません。

民族教育がしたければ「塾」となればいい。

反日教育を行ってない「韓国学校」は一条校として「区別なく」扱われています。