3327. NHKさんへ

NHKさんは「懲戒請求するに至った経緯」を知りたいそうだ。

懲戒請求者からのコメントを紹介しますね。

(以下、コピペ)

嫌韓的なものは、「嫌韓流」「嫌韓流2」(山野車輪・著)で最初に注入されたと思います。
ご存知、余命漫画の作画担当の著作です。
その後、「誅韓論」(日本戦略ブレイン・著)という本を読みました。
この本で主張してる内容は、かなり初期の余命と似ていて、
余命を原文で読んだときに、「著者、又は関係者」が書いているのかと思ったくらいです。
さすがに、余命は遥かに文章は下手ですがw編集者を通す前ならこんなもんかな、
とすら思ったくらい、内容が似ていたんです。

さて、それでは、私がどうしてこんなに、
嫌韓なものを好んで読んでいたのかですが、
これには、大阪出身であることが大きいと思っています。

大阪(の特定地域だけ?)は、「汚鮮」が著しい地域でして、
同和問題、つまり被差別部落の問題と合わさって、タブーというか、
アンタッチャブル=ヤクザな層として、同和と在日が認識されているのです。
ちなみに、関東や東北では、部落は単に集落を意味するそうですが、
大阪では、部落といえば被差別部落、すなわち同和地区を意味し、
同時に、ヤクザ集団をも意味する言葉で、ハッキリ言ってNGワードです。
言葉狩りに逢います。

同和問題は、日常生活レベルで学ぶことですが、
在日問題は、まず小学校で、道徳の授業や特別教科として学びます。
これには実習も含み、韓国伝統の双六をやらされたり、
運動会の集団演技で韓国伝統の舞をやらされたり、色々ありました。
また、人権教育とも密接につながっており、人権の授業時間に見せられるビデオは、
決まって在日の物語でした。
いわく、不当な差別で弾圧されている、しかしそれは許されないことだ。
差別する日本人は悪人だが、その子供(=ビデオの対象である小学生)は
改心して在日と仲良くなる、ハッピーエンド、みたいなやつです。
時々申し訳程度に、同和問題も取り上げるのですが、在日問題の焼き直しで、
子供心に、あ、こいつら同じことやってるな、と思ったものです。
そして在日問題は、同時に原爆教育、反戦・反核教育とも連動しています。
在日がいるのは、日本が戦争をして、朝鮮を併合して、朝鮮人たちを強制連行したせいなのだ。
だから在日を差別してきたことは決して許されない悪行なのだ、謝りなさい。
と、このように、反差別の教育内容がことごとく「昔、日本人は悪いことをした。
だから罪滅ぼしのために迷惑をかけた人たち(の子孫)を優遇しなければならない。
それで日本人が不利になったとしても当然の報いなので我慢しなさい」というものなので、
教育を受ける側である子供たちとしては、
「何でいつまでもそんなことせなアカンねん」(大阪弁)という反発心で占められます。
結局、反差別の教育内容がひどくて、反差別への反発という憎悪を再生産しているという話。

こういった反発は、大阪では普通に共感されますが、
他地域の人に言ってもいいものか、分からないのです。
他の地域に引っ越して、初めて、大阪の「人権教育」のヒドさを知ったわけですが、
みんな上辺では、差別はいけません、みんな仲良くしましょう、としか言いませんから、
うかつに在日優遇への不満を口にしたら、今でいうポリコレ棒で袋叩きにされる恐怖がありました。
そんなとき、「嫌韓流」が世に出ました。
これまでに抱えていたモヤモヤを一気に代弁してくれて、本当にスカッとしました。
よくぞ公刊物でここまで言ってくれた、と。
その後、当時流行っていた韓流へのアンチテーゼとして嫌韓が軽くブームになりましたが、
嫌韓流の焼き直しみたいな本が多くてうんざりしていました。
時代が下って久々に良著が出たと評判になったのが、「誅韓論」でした。
それまでの嫌韓本と一線を画して、「事実に基づいた論考」を売りにするもので、
確かに、多くの資料に当たって書いたであろうことがうかがえる内容でした。

前置きが長くなりました。
「誅韓論」のスタイルは、外国の新聞記事などをもとに「事実」に基づいて、
韓国と韓国人をバカにするものです。
曰く、韓国とは反日教という巨大なカルト国家である。
朝鮮半島の国は、古代から一貫して日本に仇なすことしかしてこなかったが、
現在は北朝鮮と合併することで核保有国になることを狙っている。
そんな迷惑でしかない韓国の利用価値は、
地政学的に米・中・露のパワーバランスがひしめく場所の緩衝地帯としてだけである。
これを実現するには発言力が必要なので、日本は直ちに核武装せよ!
といった内容でした。
日本の核武装の下りは唐突なので眉唾物ですが、事実に即した批判というスタイルは、
それまでの感情に任せた暴言のような嫌韓本とは、確かに違っているという印象でした。
そしてこのスタイルは、「コピペブログ」「事実の拡散」を標榜していた余命初期と、
かなり似たものだと思います。

余命の初期の主張と近い内容を、もっと上手い文章でw読んでいた私は、
その後に余命ブログ(のサポートブログ)に出会い、
すんなりその内容を読解していけたのでした。
仕事でタレコミ系の悪文を読み慣れていたというのもありますが、
誅韓論で基礎学習が終わっていたから、余命のあの悪文も主張も、
スラスラ読み下せたんですね。

いつ、どんなものに出会うかって、人生を左右する大事なことなんですね!(血涙)

(以上)

教育を受ける側である子供たちとしては、
「何でいつまでもそんなことせなアカンねん」(大阪弁)という反発心で占められます。
結局、反差別の教育内容がひどくて、反差別への反発という憎悪を再生産しているという話。

これ私も思いましたよー大阪弁じゃないけど。

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