2947. 首謀者の責任

「貴殿は960名の中の一人ですが、貴殿が参加しなければ960名にはならないのです。」と書いておられる。確かにそれはそうだ。そこに異論はない。

では、余命が懲戒請求書を配らなければ、この人たちは懲戒請求を出すこともなかったことについては、どのようにお考えなんだろうか?

私は最も罪に問うべきは余命三代目だと思っている。

私は佐々木先生たちの募金については、首謀者の刑事告訴のために資金がいると聞いたから寄付した。5万円の和解金を恫喝とは私は思わない。迷惑料だ。ある意味、仕方ないペナルティだと思う。やらかしたことの責任だ。

300万の損害を1000人で割ればいいってもんでもなかろうとも思う。じゃ次は1万人集めて業務妨害してやろってなってしまうから。(弁護士会の対応の規定を考え直して欲しいとは思う)

この先生の、煽った首謀者の責任には一切の言及がなく、懲戒請求してきた960名のうちの最初に謝罪してきた3名をターゲットにするやり方は、「強者」にはなぜか立ち向かわず「弱者」ならば徹底的にいたぶって楽しむ人たちみたいで、正直、怖い。

「権力者の友達だから優遇されるのはおかしいと思っている人が多いからこそ、森友や加計の問題がここまでクローズアップされているのです。」

ここまでくると、目には目をの精神を超えて、目には目と歯をに近く感じる。

在日の子の学ぶ権利は、普通学級に行けば保証されている。誰も地域が受け入れないとはなってない。実際に、うちの子は在日の子とも同じ小学校に通った。960名が懲戒請求しても、子供らの学ぶ権利など否定することにはなってない。

因果関係の疎明がなされていないと余命の告発状は地検から返戻になっている。

民事訴訟も因果関係のないものまで賠償する責任はないはずだ。彼ら960名の行為は社会を分断したと、池田先生は本当に因果関係を証明できるのだろうか?

果たして、これでいいんだろうか?

弁護士さんへの不信を今回、一連の騒動の中で初めて感じた。

あの橋下にすら感じなかったのに。

以下、池田弁護士のFacebookから引用

件の懲戒請求は、私のところにも960名から来ているのですが、いまのところ、「謝罪文」を送ってきたのは3名です。
いずれも、「ごめんなさい。洗脳されてました。懲戒請求は取下げました。」くらいのことしか書いていなくて、私の怒りに油を注いでくれます。
別に、和解して金をもらおうなんざ、ほんのちょっぴりしか思ってない(笑)から、和解の申出がないことに怒っているわけではない。
私が怒っている本質はそこにはないので、私が3名に送った手紙を公開します。

弁護士 池田賢太
〒060-0042 札幌市中央区大通西12丁目
北海道合同法律事務所
TEL 011-231-1888 FAX 011-231-1785

ご   連   絡

冠省 お手紙拝見しました。

まず、お伝えしなければならないのは、貴殿から懲戒請求の取下げがなされたとしても、弁護士会の規定上、貴殿に最終的な議決書が送付されないのみで、弁護士会としての手続は止まりません。
弁護士会は、他の士業とは異なり、監督官庁を持ちません。弁護士は、弁護士集団として自らを律し、自らの組織を維持しています(これを「弁護士自治」といいます。)。国の役所から独立しているからこそ、国民が国家から権利侵害を受けたときに敢然と立ち向かうことができるのです。弁護士会の持つ懲戒権は、弁護士の適正な職務遂行のみならず、弁護士自治を担保する重要な権限だからです。懲戒請求制度は、単に弁護士に対する不満をぶつけるための制度ではありません。
正直にいえば、今回の懲戒請求に対しては、非常に憤りを感じています。申し訳ありませんが、お手紙を拝見しても私の気持ちは変わりません。弁護士は、いわれの無い懲戒請求に対しても、弁明書を書かなければなりません。他の依頼者の時間を削り、あるいは家族との時間を削り、弁明書を書かなくてはなりません。いま、この手紙を書いている時間もそうです。私は一自営業者ですから、他の事件処理をすれば得られるであろう報酬を犠牲にして対応しなければなりません。厳しいことを言えば、貴殿がマインドコントロールされていたかどうか、集団ヒステリー状態になっていたかどうかは、私の受けた損害には全く影響しません。したがって、貴殿に対する損害賠償請求についても検討を続けております。

にもかかわらず、私があえて貴殿に手紙を書くのは次の理由からです。貴殿が真摯に反省をなさっているのであれば、私の思いを理解して下さるだろうと期待しているからです。単に損害賠償請求を免れるためにお手紙を認められたのではないと信じているからです。
私たちの社会は、私たち一人ひとりが、その本質において平等であるという価値観に基づいて成立しています。出自がなんであろうと、障害を負っていようと、職業がなんであろうと、男であろうと女であろうと、その本質において平等でなければなりません。だからこそ、経済的な問題はあるにせよ、誰であっても弁護士を頼むことができます。男しか弁護士を頼むことはできないということもないし、在日朝鮮人は弁護士を頼めないということもありません。なぜなら、弁護士を頼む理由は、その人の何らかの権利が侵害されているからであって、その権利そのものは人によって左右されるわけではないからです。多くの人は、このことを理解しているでしょう。権力者の友達だから優遇されるのはおかしいと思っている人が多いからこそ、森友や加計の問題がここまでクローズアップされているのです。

私が本当に憤っているのは、貴殿のした懲戒請求が、在日朝鮮人あるいはその子どもたちの権利の平等性を認めていないという点にあります。個人はその本質において平等だというこの社会の前提を壊していることに対する無自覚さです。
貴殿が言われるとおり、私も含め、人は弱い存在です。だからこそ社会を作って、相互に補完し合いながら生計を立てています。それは、社会の構成員が本質において平等であるからこそ、お互いに助け合う基盤ができます。いまは元気でも、いずれ年老いて仕事ができなくなります。あるいは病気のために収入が無くなることもあるかもしれません。家を出たら交通事故に遭うかもしれない。私たちの生活は、ある意味では一寸先は闇なのです。そのようなリスクを軽減するために、社会を作り、あるいは保険という制度を作ってきたのです。この制度を成り立たせるのは、繰り返しになりますが、個人がその本質において平等だということです(保険制度で保険料が各人違うとしても、それはその人の性別や収入などの属性によって判断されているのであって、Aさんだから高くてBさんだから低いとか、日本人だから安くて在日朝鮮人だから高い、ということではないことはご理解いただけると思います。)。
私は、貴殿が今回の懲戒請求をなさった根底には、「余命ブログ」に対する親和性つまり差別に対する無自覚性があると思わざるを得ないのです。

そうであれば、貴殿がなすべきことは、私や弁護士会に対する謝罪ではなく、貴殿の心の中にある明確に存在する差別をする心と向き合うことであり、差別を楽しむこととの訣別です。謝罪すべきは、貴殿の懲戒請求によって在日朝鮮人の子として生まれたがために学ぶ権利を否定された子ども達にであり、それを自らの責任と追い詰めている彼らの親たちにです。
私は、貴殿がどのような思想を持とうと、表現活動をされようと自由だと思います。しかし、その自由には責任が伴うことを忘れてはなりません。その自由を行使した結果、他人の権利を害することは許されるべきことではありません。そして、私の経済的損害や精神的苦痛よりも、この社会の分断を生じさせたことは、極めて重大で、それに対する大きな責任は負うべきだと考えます。貴殿は960名の中の一人ですが、貴殿が参加しなければ960名にはならないのです。貴殿には、その責任の重大性をしっかりと認識していただきたく存じます。

(以上)

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