2392. チーム関西(wikiより)

在日特権を許さない市民の会(在特会)、主権回復を目指す会(主権会)といった 右派系市民団体関西在住メンバーや、関西地方で活動する右派系市民活動家らの連合グループとして結成された。正式な結成時期は明らかにされていないが、荒巻靖彦前代表の発言[4]や旧公式サイトの供用開始時期[5]から、2009年平成21年)10月中に結成されたものとみられる。荒巻が代表辞任を発表した2012年(平成24年)2月12日をもって表向きは活動を休止したことになっているが、公式サイトでの活動告知やカンパ募集は現在も継続されている。

団体間の垣根を超えた共闘関係を構築するための集まりという側面が強く、役職は代表のみ、規約や会員制度は設けないなど、組織構成は極めて簡素なものとなっている。チーム関西が主催する形式で活動を行うこともあるが、各メンバーが所属している右派系市民団体の活動に協賛などの形で関与するケースも多い。また独自の寄付金口座を開設してカンパを募っており、年間で100万円を超える額が集まったこともあるという[6]

リベラル左派寄りの政党マスコミ在日韓国・朝鮮人など「反日的」とみなした勢力の糾弾を目的とした街宣やデモを行うとともに、情宣活動の一環として活動の様子を撮影した動画を「YouTube」や「ニコニコ動画」などの動画投稿サイトアップロードしている。

街宣やデモの現場で過激な言動を多用する傾向があり、業務妨害器物損壊などの違法行為に及んだメンバーが刑事責任や民事上の損害賠償責任を問われるという事例が後を絶たない。2014年(平成26年)5月末までに7つの活動に関して50名(延べ人数、以下同じ)が刑事事件の被疑者として送検されており、そのうち少なくとも31名が起訴猶予処分となり、18名が有罪判決を受けている。また3つの活動に関してメンバーらに対する損害賠償請求訴訟が提起されている。

メンバーや元メンバーら十数名に取材を行ったジャーナリスト安田浩一は、チーム関西を始めとする右派系市民団体には、満たされない承認欲求を抱えた人々が活動を介して繋がり合うという一種の擬似家族的な側面が見られると述べている[7]。他方で、保守的中間層排外主義的な右派系市民活動(「排外主義運動業界」)の担い手になっていると主張する徳島大学樋口直人准教授は、チーム関西は主にブルーカラー層によって構成された同業界の中でも特異なグループであり、チーム関西の事例から社会階層の低い者が排外主義に走っていると安易に結論付けるべきではないと主張している[8]

歴史

結成までの流れ

2006年平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)・「主権回復を目指す会」(主権会)・「日本を護る市民の会」(日護会)といった「行動する保守」を標榜する右派系市民団体が次々に設立されたが、これらの団体が本拠地を置く関東地方に比べると、関西地方での活動は規模・回数ともに見劣りするのが実情だった。このうち在特会では2007年(平成19年)2月と比較的早期に関西支部を設立していたものの[9]、同年11月までに発足時の支部運営陣が全員辞任する事態となり、事実上の休眠状態に陥っていた。

2008年(平成20年)11月、在特会は主権会の幹事として独自に「主権回復を目指す会・関西」を立ち上げていた[10]ベテラン右派系市民活動家増木重夫を空席となっていた関西支部長に任命する[11][12]。この頃から関西でも在特会・主権会の両団体を中心とした街頭活動が行われるようになり、12月には大阪市で主権会・在特会関西支部共催の大江健三郎糾弾街宣が[13]宇治市ウトロ地区で在特会関西支部主催・主権会協賛の在日朝鮮人糾弾街宣が[14]、それぞれ開催されている。

増木は翌2009年(平成21年)4月暴力行為法違反容疑で逮捕され支部長を解任されたが[15][16]6月には関西地方で初となる「行動する保守」系デモ京都市で開催され、在特会・主権会のほか日護会などの複数団体が参加するなど[17]、その後も共闘規模の拡大が続いた。また6月末に川東大了が在特会関西支部長に、西村斉が同会計に就任してからは在特会主催の街頭活動が急速に増加していった。

そして同年10月になって主権会が関西支部を設立したのを機に[18]、同支部の事務局長に就任した荒巻靖彦らを中心とするグループ「チーム関西」が結成され、街頭活動の告知・連絡を行うための公式サイトが開設された。なおチーム関西の公式サイトに掲載された最初の活動は、10月21日に在特会・主権会・日護会および「日本女性の会 そよ風」(そよ風)の各関西支部共催で行われた毎日新聞糾弾街宣である[5]

活動の先鋭化

チーム関西の結成後も関西地方における右派系市民活動の規模は拡大を続け、特に会員数を伸ばした在特会2010年平成22年)4月までに関西支部を2府4県ごとの支部へと再編している[19][20]

それに伴って街宣やデモの内容は次第に先鋭化していき、2009年(平成21年)12月京都朝鮮学校公園占用抗議事件(以下「京都事件」と呼称)を皮切りに、翌2010年(平成22年)には朝鮮総連京都府本部不退去事件3月)、大阪水曜デモ妨害事件4月)、徳島県教組業務妨害事件(4月、以下「徳島事件」と呼称)、京都創価学会施設侵入事件7月)と、後に刑事事件として取り上げられることになる過激な活動が立て続けに行われた。

この時期の活動の多くは在特会関西支部(および再編後の各府県支部)と主権会関西支部の主催・協賛下で行われていた。この両団体の関西地方におけるトップとナンバー2、すなわち川東大了(在特会関西支部長→同大阪支部長→同副会長)・西村斉(在特会関西支部会計→同京都支部長)・中谷辰一郎(主権会関西支部長)・荒巻靖彦(主権会関西支部事務局長)の4名は「四天王」と呼ばれ、活動の企画・実行に主導的な役割を果たした[21]

相次ぐ主要メンバーの検挙

上記のような活動の先鋭化に伴って警察による警戒の動きも強まり、2010年平成22年)7月大阪府警警備部大阪水曜デモ妨害事件の参加者1名を逮捕したのを皮切りに、翌8月には京都府警警備部が京都事件の参加者4名を逮捕、さらに翌9月には徳島県警警備部が徳島事件の参加者7名(うち3名は京都事件と重複)を逮捕するなど、「四天王」を始めとする主要メンバーの検挙が相次いだ。

逮捕勾留などで主要メンバーを欠いたことにより活動規模は縮小を余儀なくされ、活動の先鋭化もやや抑えられる結果となった。ただ同年12月には京都事件一周年を記念すると称して在特会そよ風らと共同でデモを開催するなど[22]、一定数の動員を伴う活動が途絶えたわけではなく、また2011年(平成23年)1月に起きた水平社博物館前差別街宣事件(以下「差別街宣事件」と呼称)のように過激な活動も一部では続けられていた。

起訴されたメンバーはいずれも2011年(平成23年)4月までにそれぞれの関与した事件について有罪判決を受けた。彼らのほとんどは活動の現場に復帰したが、主権会関西支部長の中谷辰一郎はこれを機に活動の第一線を退いた[23]。また主権会も同年3月15日付で関西支部を解散させたため[24]、チーム関西に対する主権会の影響力は失われた。同時期には在特会本部と日護会本部の間で民事訴訟刑事告訴の応酬を含む激しい対立が発生し、日護会は在特会との共闘を拒否してチーム関西から撤退した[25]。こうしてチーム関西における「扇の要」の役割はもっぱら在特会が担うことになった[2]

燻ぶる対立の火種

主要メンバーの復帰により再び活動は活発化し、2011年平成23年)3月福島第一原子力発電所事故とそれに伴う電力不足を奇貨として在特会が「反・反原発」や「反パチンコ」をテーマにした街宣やデモを展開するようになると[26]、チーム関西も独自に「パチンコ禁止デモ」と題したデモや[27][28]、反原発デモへの「カウンター」と称した街宣活動を行うなどの動きを見せた[29]

その一方で、同年秋頃からいずれも主要メンバーの一人である「現代撫子倶楽部」代表の中谷良子(以下単に「中谷」と表記した場合は彼女のことを指す)と、「歴史捏造を糺す会」代表(当時)の長月友希2人を中心にメンバー間の対立が次第に深まっていた。対立の発端となったのは9月11日大阪市で行われた街宣で、このとき中谷が右翼団体とトラブルを起こしたことから、かねてから中谷の言動がトラブルの火種となっており仲間を危険に晒していると考えていた長月は中谷との絶縁を決意。中谷の側もこの事件を機にメンバーの態度がよそよそしくなったと感じたという[30]

また中谷に国民健康保険証を貸していた女性メンバーが「貸した保険証でカードを作られているらしい」と長月に相談したため、クレジットカード等の偽造カード作成の危険性も孕んでいるとして、11月の懇親会でメンバーらと対応を協議した。この頃から「中谷が借りていた保険証を悪用してクレジットカードを偽造した」との噂がチーム関西内に流れ始め、中谷への批判が強まった。なお中谷が保険証を借りていたことは事実であり後日詐欺罪に問われることになったが(後述)、カード偽造疑惑に関しては女性メンバー名義のポイントカードを作成していただけで、クレジットカードを作成した事実はなかった[31]

その一方で中谷を擁護する動きも見られた。12月東京で行われた「慰安婦の嘘は許しません!なでしこアクション2011」と題する活動において[32]、チーム関西所属団体のうち中谷の「現代撫子倶楽部」のみが賛同団体から外された際には、主要メンバーの一人で「日本シルクロード科学倶楽部」副会長の中曽千鶴子がこれに抗議する声明を出している[33]。中曽を始めとする擁護者らは、活動家として雑誌の取材を受けるなど注目を集めていた中谷に対する嫉妬が一連の動きの背景にあると主張していた[34]

在特会・主権会の決裂

上記の主要メンバーの検挙や対立の影響もあって、チーム関西の主力を構成する在特会と主権会の対立も露わになってきた。

主権会会長の西村修平代表は、チーム関西の過激な活動が刑事事件化することで「行動する保守運動全体がダメージを受けるのではないかとの懸念を抱くようになった。そして、大阪水曜デモ妨害事件でチーム関西のメンバーが逮捕されると、西村修平はその事後処理を行おうとせず、チーム関西を切り捨てようとした[10][35]。しかし、在特会会長の桜井誠はデモが主権会主催であったことを理由に、西村に事後処理を行うように説得したところ、両者は口論となった[35]。そして、これを直接の契機として在特会と主権会は事実上袂を分かった、と桜井は述べている[35]

桜井は西村と袂を分かった主たる理由として、2つの理由を挙げている。一つは、京都朝鮮学校公園占用抗議事件の事後処理において、西村が検挙されたチーム関西のメンバーを切り捨てようとする態度をとったこと、またそのなかで在特会と主権会の路線の違いが露わになったことである[35]。もうひとつは、西村が組織暴力団の幹部と関係を持っていたことであり、桜井は関西の件よりもより悪質だと主張している[36][37]。これによると、桜井は関西での関係が悪化する前に西村にある人物に紹介されたが、不審に思った桜井が名刺の名を友人に調べさせたところ、その人物は組織暴力団の実働部隊トップだったのだという[36]

一方、西村は徳島事件の直後には同事件に関与した荒巻ら4名を主権会から除名するとともに、チーム関西の活動には今後一切関知しない旨の声明を公式サイト上に掲載した[38]。これにより、チーム関西における在特会と主権会の共闘関係には終止符が打たれた。

活動休止宣言

中谷を巡る対立は2012年平成24年)1月23日、上述した女性メンバー名義の保険証を使用して保険診療を受けていた中谷が詐欺容疑で逮捕されたことにより[39]、一気に急展開を迎えることになる。

在特会桜井誠会長は逮捕報道後に配信したニコニコ生放送で、中谷と在特会の友好関係を全面否定するとともに、彼女が他にも余罪を抱えていることをほのめかした[34]。また記事中で中谷と在特会が連携していると書いた読売新聞に抗議するとして、逮捕翌日の1月24日に支部長ら数名を引き連れて読売新聞大阪本社を訪問している[40]。なお中谷は徳島事件を機に退会するまで在特会の会員として活動しており、退会後もチーム関西の枠組みの中で在特会との共闘を進めていた[41]

こうした在特会側の動きに対し、中谷の支援者らは「自己保身のための裏切り行為だ」と猛反発し[34]、特に中曽は桜井会長やそれに同調したメンバーらに対して謝罪を要求するなど批判の動きを強めた[42]。これに対して長月が再批判を試みたこともあり[43]中谷を批判するメンバーと擁護するメンバーとの対立は激しさを増していった。

その最中の2月12日大阪市で主要メンバーを集めての集会が開催された。集会の冒頭、荒巻靖彦代表は「行儀の良い人間だけが世の中を変えてきたわけではない。仲間がやったことについてどうのこうの言うのは仲間として、人間として許されない」と中谷批判の動きを牽制するとともに、「何かあったらあげつらうような人間が仲間にいるようでは具合が悪い。こういうごたごたに嫌気が差したので、今日付で一度チーム関西をやめさせてもらう」と述べ、自身の代表辞任と団体としての活動休止を宣言した。ただしメンバーらによる公式サイトの利用は従前通りに認められ、また京都事件の弁護士費用を確保するためにチーム関西名義でのカンパも継続して募集することとなった[4]

その後

メンバー間の対立はその後も解消されず、休止宣言直後には在特会そよ風・歴史捏造を糺す会など中谷らに批判的なグループの活動告知が削除されるという事件が発生する。これに対して在特会などが業務妨害にあたるとして被疑者不詳での刑事告訴・告発に踏み切ったところ[44]、中曽が「仲間を貶める等、チーム関西としてふさわしくない言動をしている人が代表をしている会の告知を削除することは許される」「卑劣な警察への密告」とこの動きを批判するなど[45]、事態は泥沼化の様相を呈し始めた。

こうした状況を受けて在特会では2012年平成24年)4月頃から原則としてチーム関西公式サイトでの活動告知を取り止め、全国地域別に独自に開設した活動告知用カレンダーページを使用するようになった[46]。そよ風を始めとする友好勢力もこちらのサイトに移行したため、チーム関西の公式サイトで告知される活動の件数は大幅に減少した。またリーダー格だった荒巻靖彦西村斉の両名が同年5月ロート製薬強要事件(以下「ロート事件」と呼称)で逮捕・収監されたことも活動規模の縮小を招いた。

その後もチーム関西の枠組みを用いた活動は続けられたものの、公式サイトに掲載された街宣・デモ・集会・ポスティング等の活動予定の告知件数は、2011年(平成23年)下半期の約130件をピークに、2012年(平成24年)上半期には約80件、同年下半期には約30件程度にまで減少した。2013年以降、活動の告知件数は大幅に減少し、内容は川東大了の個人的な活動報告が大半を占めている。2013年下半期には現代撫子倶楽部の活動告知が在特会カレンダーページで掲載されるようになり、関西全体の活動告知のための機能は在特会カレンダーが担うこととなっている。

(以上)

余命2379記事(2018/2/20)・・・・・_中国や朝鮮の歴史には平等がない。ロシアをはじめとする共産党勢力もまったく同様で上下関係しか存在しない。まさに紀元前からの遺物である。戦いにおいて負ければ「死」降伏すれば「奴隷」という図式が、仲間内では粛清となる。意見の違いではすまないのである。日本人の感覚とは完全にずれているので「普遍的な性善説的民度」をもつ日本人は気をつけよう。

余命の読者とサポーターは「日本人の常識」「日本人の普遍的あり方」「日本人の民度」
「日本人の世界への貢献」というテーマに近づきつつある。
まあ、ちょっと飛んでるが、とりあえずは足を引っ張っている人もどきを駆逐してからの話だね。

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