1959. 12月9日は

初代の命日のはずでした。

昨年などは、その前々日ぐらいから「命日はいつですか?」という質問があり、余命が「都内で偲ぶ会が開かれる」と答え、お線香代と称した寄付が届くのが例年のイベントだったが、今年は余命さんはダンマリでした。7日のせんたくyoutubeで、ちらっと触れてはみたのだが誰も反応せず。7日からブログの更新もなく、でも、昨日は、せんたく氏と余命氏は密談はして居たらしいと言う(そこで、1文字2円の話をしたと)

私は初代=現余命だと思って居ます。

まず、三代目Aのことには一切触れない。命日はいつ?と聞かれると「隙」がなくて困るのです。つまり中の人が死んだことになる設定に抵抗がないのが余命チームだと言うことです。前三代目の死がフェイクなら、初代の死もフェイクの可能性が出てくる。

三代目Bとして、三代目Aとの関係性も、初代との関係性も一切、語ったことがない。スーッと黙って三代目Aに背乗りしたんですよね。(そして、ドラマチックに余命本2の中で発表)

それから、余命さんが一番、生き生きと話すのが初代の頃の中国の軍事委員会で、ミンスが漏洩させた3万件の機密情報で、「戦争するのを辞めた」とのストーリー。三峡ダムの決壊の可能性などです。今や、尖閣に「公船」(=軍艦)が毎日のように入って来て居て、漁船(=民兵)に見せかけることすら辞めて本気で領土を取りに来て居るのに、情報が数年分は遅れてますが、どうしても持論が手放せない老人に見えて仕方がないのです。

プロジェクトいなほ」の存在がバレたことにより、サクラ投稿が仕込めなくなった、年に1度の稼ぎ時を逃したとお怒りになったのでしょうか? 何が頭を丸めるほどの逆鱗だったのか、知りたいものです。

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