1606+. 質問ですシリーズ・リターンズ

久しぶりに難問が届きました。

今回は

悪魔さん

「愛ってなんだと思いますか?」

(以上)

ったく、シンプルな問いほど難しいです。レベル上げ過ぎ。

せんたくさんに質問をたくさん書いたからなぁ。その意趣返しか?

私の答えは

「可能性を信じること」

これは子供を育てていて自分で自問自答していることでもあります。親の愛って、どうあるべきなんだろうって。母親は愛情を料理に注ぐとも言いますが・・・

マザーテレサのような慈愛は私は持てません。

自己愛は人並みより外れて持っています。だから、叩かれても凹まない。

夫婦の愛ってのは、正直、よく判らんです。

隣人愛?もっと判らん。正直、対象外。

精一杯広げて、私にとっての愛は、親が子に注ぐ愛。そこまでです。

(2017/10/18 コメント追記します)

先日は失礼致しました。
こちらのブログは現実主義者を多く読者に持つブログということは 重々承知しており、場違いなのは百も承知でございますが、本来K Y体質ですので気にせず投稿させていただくことに致しました。
1595.神無月を拝読させていただき、「ただ、結果として「神 意」に沿ったものが最後に時の試練を経て残っていく。意に沿った 行いには臥薪嘗胆の時期はあっても時が満ちれば良い巡り合わせが 巡ってきて、思いもかけない結果が生まれ、意に沿わない行いには 何をやっても障害があって結果として成就しない。 一時はバブリーに良さそうに見えても、最後はポシャる。そんな感 じに私個人は捉えています。」
上手に「意」に「乗る」ということを実在論として纏めておられる と思いました。

さて、今回「愛ってなんだと思いますか?」という内容を見まし て、私の私見も交えたものとなりますが、「愛」 についてお伝えしたいと思います。
人の世界での「愛」というと家族から始まり、関わる人々に対する 愛、大きくなると「人類愛」と幅も広く深い意味のある言葉である と思います。
「この世」での愛のあり方も様々な捉え方があり、愛というのは一 概に一言では表現しづらい域のものだと私個人は思います。
その中で、今日は皆様に「あの世」にいらっしゃる皆様のご先祖様 方についてお話させていただきたいと思いました。
皆様にはそれぞれ皆様のご先祖様方がついていらっしゃいます。
「憑いている」のではありません。
意識(想い)を繋げているという表現がわかりやすいかと思います 。
私はその「想い」を受け取ることもありますが、どのご先祖様方も 子孫である皆様の事を、「愛」していらっしゃいます。
欲も何もない世界で残るのは「想い」なのです。
ご先祖様方から見ると子孫の皆様は「可愛い我が子」と変わりない 存在なのです。
いつも心配し、基本的には見守ることしか出来ませんが、常に愛し てくれています。
子孫に対して「心配」し、子孫の方が苦しまれていたりすると「可 哀そう」と想いを伝えてくるのです。
私への伝達において「我」は無いのです。「我が子孫」への想いだ けを繰り返し伝えてくれるのです。
これこそ「愛」なのだと私は思います。
信じる信じないはあることでしょうが、皆様がこの世にいるのはご 先祖様方が実際にこの世に生きていてくれたからであることは間違 いないことです。
仏壇の有る無しは関係ありません。ご先祖様方には「愛してくれて いる」事への感謝と、「愛している」という事を思っていただきた いと思います。
皆様が「愛」を返してくれるとご先祖様方は喜ばれます。

次に視点を大きくし、この世界は「何」を望んでいるかをお伝え したいと思います。
私が受け取ったことは「すべてのものは愛と祝福を求めてる」とい う「意」でした。
言葉だけ見ると、いささか西洋的宗教観からの言葉と取れると思い ますが、この「意」 は日本におられる神様からのお伝えでございました。
この伝えにつきましては、未だ私にとって「課題」となっているも のです。
私は「真理」などの受け取りなどについて確信があるものについて は断言的言葉を使いますが、「課題」的なお伝えを基にした自分の 思考による答えに関しては「思います。」 などの主張をさせていただくことと致します。
以下文は未だ思考の段階のものです。
「すべて」とは生けるものから、起こる事象全てのことだと私は理 解しています。
祝福とは「この世」に存在することのすべてが「祝うべき奇跡」と いう事なのかと思っていますが、それは推測の域を出ない事で、も っと大きな意味があるのではないかと考えています。
江戸時代の人達は日常的に「めでてえな」という言葉を発していた ようですが、
これは「意」に「乗って」いたことだったのだと感心しております 。
そして、「愛」、これについて私の考えとしまして、簡単には「こ うである」とは言えないのですが、私なりの現在の答えとしては「 愛」とは「存在を許すこと」なのではないかと考えております。
「この世に在る」ということを「許される」とは「認められる」と いうことではないかと。
実社会においても「無視されることが一番つらい」という話も聞き ます。
誰かが認めてくれないと「全て」はこの世には存在していないも同 じということなのではないかと思います。
「愛は地球を救う」だけでなく「愛は全てを救う」ことに繋がるの ではないかと思っています。

天葉

(以上)コメントありがとうございました。

ご先祖さまの愛は感じます。(前にも書きました、私が受け継いだ能力を持つ人を筆頭に。)

全てを救う愛、人間には無理です・・・

少なくとも私はそんなに心は広くない。

ただ、1つ、愛の代わりになるのは憐れみかもしれないと最近は思います。

以前、私はT.K.さんにHMさん呼ばわりされて頭に来ていました。もし、T.K.さんがリアル隣人で、毎日まいにち、テンハーミングのリズムで布団叩いてHMがなんちゃら、二階堂がどーたら言っていると想像したら、想像だけでどうしてくれようかと拳を握りしめるのは今でも同じです。

でも、幸い、そこまでの関係はない。ネット上だけならば見なければいい。

あれだけ、コテンパにしてしまうと、こちらはスッキリとして余裕が出来て、いまごろは何を言っていようと、あーはいはい、一人で相撲を取ってなさいって笑って許せるんです。不思議なくらい文字を見ても怒りが湧いてこないのです。

きっと、神様から見たら、われわれ人間の善悪なんて、その程度のものなのかもしれないと、1つ、T.K.さんのお陰で悟ったような気分になれました。

御礼申しあげます。

ちなみに余命ブログについては、もはや、頭の体操ですらない。惰性です。赤ペン先生が30点からどんどん点が下がっていく生徒を見る気分。

以前に、余命読者が懲戒請求反訴を喰らって悪魔ブログに助けを求めてきたらどうします?という質問を受けました。 私は、お門違いです。頼るなら、豆腐さんか信濃さんと答えたのですが、今なら、弁護士をご紹介できます。
ITに詳しくて敷居が低く、右寄り(中道)の人を推薦して貰いました。
以前書いた3つの方針のうちの3番目を選ぶ方は、ご連絡下さい。
と言いつつ需要ないと思うので、
ツテで声をかけていいと言ってもらっているだけで、私が契約を交わしているわけではありません。
契約は 各自ということになろうかと思います。
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