1132. アブラハムとイサク

大和心さんちでの内記様の書き込みを見て、息子イサクを生け贄に捧げるように言われたアブラハムを思い出した。

https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-Abraham-Isaac.html

 

少し枠を広げてみますと、広島と長崎に投下された原爆によって21万人もの人々が死にました。その殆どは非戦闘員であり一般市民でした。私は原爆投下が神仕組であり、それによって日本の最初の岩戸が開いたと解釈し、それを本に書き、講演でも堂々と主張して来ました。しかし私は、神が原爆を仕掛けた加害者であり、それによって爆死した民は被害者であるという捉え方はしていません。これを人間心で発展させれば、神は殺人者であってとんでもない悪者であり、死んだ人々は無残に殺された無実の人間となってしまいます。勿論原爆だけではなく、阪神淡路大震災も、あの3.11東日本大震災も、同様の構図になるでしょう。

神仕組によっては、(先の原爆の例のように)どうしても人間の肉体生命がこの世から消えなければならない場合があります。この時、親である神が、子である人間の肉体死を悲しまない訳がありません。神とても、血の涙を流しながら、我が子を地獄に突き落としているのです。神仕組とはこれほど厳しいものだということを表明しておきます。地上での役割を果たし、肉体を脱して帰還した魂を、神はその御胸に抱きしめられることでしょう。

「身魂」を磨き「神の御用」に奉仕するとは、一時の肉体生命だけで完結するものではないことを知ってください。生き変わり死に変わりする「永遠の生命」の視点で捉えなければ、到底理解出来るものではありません。これらの身魂たちは、悪神の支配する世界を幾転生もかけてメグリを積みに積み、それを反面教師として力に変え、魂を成長させようとしているのです。神が必要とされているのはこのような人間であり、そのための「神仕組」だということです。ですから100%完全な「無辜の民」などこの世には一人もいません。そのような存在なら、この世に生れてくる意味も理由もないからです。

(以上)

私は息子を神に捧げろと言われて、盲目的に行動するようなことは出来ない。原爆で亡くなった方々を、必要な死だったとも言えない。

神が勝手にそう言うのならば、勝手に言えばいい。必要な死だと思う人は黙って自分の息子を差し出せばいい。

だが、他人の死を、そのように切り捨てられる人を私は信じてついていける気がしない。果たして大和心さんは自らの家が流され息子を庇って身重な妻を失っても、そう言いきれるのだろうか?

どこまで身魂磨きに憑いていける人が居るか、脱落者はどのような扱いを受けるのか。

見せていただく。

ちなみに世界中で「神の御用」を実践していると主張するグループが居る。神仕組を彼らの言葉ではジハードと言う。彼らは天界入りを確約するために自爆する。あれは我よしとは反対にある身魂磨き(肉体の器を捨て霊的に生まれ変わる)の行為なのだと彼らは信じて疑っていない。大和心さんの魂を抱きしめる神は何語をしゃべるのだろう?アラビア語?ヘブライ語?ラテン語?

ギリシャ語でも日本語でもないような気がするよ。

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