39+. 初代に関する考察

2016年8月8日から余命はしばらく「死んだふり」をしていました。私は官邸メール第三弾を見ようと、待ち構えていたので暇を持て余し、初代に対する考察を2ちゃんねるに書き込んでいました。

余命三年時事日記って真に受けていいの?スレの過去スレ79

http://mint.2ch.net/test/read.cgi/korea/1470907396/

当時はブログを始めていませんでした。POJのチャットのログ(外部リンク)も見つけていませんでした。しかし改めて見直してもpOJ仮説と矛盾がなかったので、まとめておきます。

 小生も残る時間はいくらもないと思うが約70年の人生経験を一人でも多くの次世代に伝えるべく我が一族郎党32名の声と情報を併せて発信することとした

2012年(平成24年)で、70歳として、1942年(昭和17年)生まれ、終戦の歳が3歳
2012年(平成24年)で、75歳として、1937年(昭和12年)生まれ、終戦の歳が8歳
(1年前後の誤差はあります)
1945年(昭和20年)の終戦後、日本人は大陸から一斉に引き上げています。
その当時に12歳以下で逃げ後れた子が中国残留孤児と呼ばれています。
余命さんは、もし帰国できてなかったら、中国国内で日本人として虐待迫害されて生きて来なければなりませんでした。(中国にも戸籍があり日本人だとハッキリ書かれるため、大躍進・文化大革命時代に多くが殺害されてもいる)

父は満州生まれ満州育ちで中国語、ロシア語の会話はもちろん読み書き自在である。
母は数年前に亡くなったがソウル生まれソウル育ちで朝鮮語と中国語ができた。
叔父姪はアメリカ、カナダに在住である。
職業は公務員、医師、教師、自営業さまざまであるが政治家だけはいない。
それと大学生以下18人の子供達だ。
但しプライバシーに関することなのでこの部分は数字等に多少偽りがあることをお許しいただきたい。

ここで「中国語」と書いてある部分が「余命本」では「国語」になっているとか。

昭和17年生まれの方の父母は、大正あるいは明治の生まれと考えられます。
仮に母が20歳の時に産まれた子だとして、母は1922年(大正11年)生まれ
明治生まれの祖父が李氏朝鮮に渡ってそこで産まれた方が母ということですね。
一方、満州というのは、いつから日本人が居たでしょうか?
日清戦争が1895年(明治28年) 日露戦争は1905年(明治38年)
1931年(昭和6年)になってから満州国が出来て、開拓団が渡っています。

ちなみに、我が一族、中国在住の28名(北京、上海、南京、重慶)は今年2月までに全員が帰国した。
>中国勤務8名も全員帰国、そのうち勤務先変更のきかぬ5名は会社を退職している。
>中国に長年住んでいた者の話は説得力があるだろう。
>帰国後約二ヶ月がたって、日本を知らない何人かの子供たちは、我々の全く気にかけない当たり前のことに、ことごとく驚き感動している。
>我が一族帰国児童の最優先汚染除去項目は信号無視である。

さて、一家が大陸から引き上げて基地の街に住んでいたはずが、いつ、大陸に戻ったのでしょう?

日中国交正常化は1972年(昭和47年)田中角栄の時代です。
少なくとも、その後ですね。余命さんは30歳代、ご両親は50代かな。
海外在留邦人統計は1997年(平成9年)が私が見つけた一番古いものですが、それですら、
中国在住の総数が、たったの19379人。永住者454を除けば長期滞在者は18925人。

父も小生も日本人だが、中国生まれだ。 明治時代から我が一族は中国に関わってきた。
父母はネイティブにちかい。 中国の生活、習慣、言語その他、中国人と全く変わらない。
このような形があって、真の情報は得られる。 観光気分で訪れて、万分の一を見て全体をわかったように吹きまくる自称専門家とはちょい違う。 まあ彼らの無責任なガセ発言には閉口しますな。

明治あるいは明治以前の生まれの祖父から、その息子がどのような教育を受けるか、
生活習慣を中国人に合わせるかなぁ。 男は弁髪・女は纏足の時代よ? 朝鮮人が小便で顔を洗う時代よ?
戦後の自虐教育を受けた人には迎合することに違和感がないかもしれないけど、
明治以前の日本人なら、もっと厳しく、日本人が日本人らしく武士のように育てると思う。

小生の一族には何人も温泉旅館の経営がいて、東北と伊豆に粗末ではあるが100人ほどが寝泊まりできる温泉付き家屋をもっている。
>夏は東北、冬は伊豆と休みには子供たちを主体に一族が集う。
>赤ん坊から96歳までごちゃまぜだ。
>子供たちの健康と体力作りがメインだが、時間厳守や,道徳けじめは教育する。

毎年、日本に来てたら、空の青さもわかっていて、 信号無視はしない子に育てられるであろうに。でも「 中国の生活、習慣、言語その他、中国人と全く変わらない。」人に、日本人としての道徳が教育が子どもにできるのかしら?

不思議なのは、いわゆる満州からの引き上げ者なのに、「シベリア抑留」の話も「ソ連兵の暴挙」の話もないこと。私の周りには爺さんがシベリア抑留されたという話は聞きます。満州と深く関連していて、自分自身でなくても親しい知人や親類縁者が全くシベリア送りにならなかったとは思えません。もしかして真っ先に危険を察知して仕事放り投げて逃げてきたのかしら?さすが中国人と全く変わらない一族だ。

占領地域の日本軍はソ連軍によって8月下旬までに武装解除された。この際多数の死傷者が出たという。また、このとき、日本人捕虜は内地への帰還を望んだ が、ソ連軍は復員を認めず、すでに離隊していた男性も強引に連行した。日本人捕虜は、まず満州の産業施設の工作機械を撤去しソ連に搬出するための労働に使 役され、のちにソ連領内に移送された。9月5日の山田ら関東軍首脳を手始めに、日本軍将兵、在満州民間人・満蒙開拓移民団の男性が続々とハバロフスクに 集められた。彼らは日本に帰れることを期待していたが、ソ連は捕虜を1000名程度の作業大隊に編成した後、貨車に詰め込んだ。行き先は告げられなかった が、日没の方向から西へ向かっていることが貨車の中からでも分かり絶望したことが伝えられる。また、この時抑留された捕虜の証言によると、ソ連兵はダモイ (帰れるぞ)と叫び捕虜を貨車に乗せたという。抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は総数57万5千名が連行されたと考えられた が、65万人というのが定説である。 (wikiより)

なぜか「ソ連」には触れたがらない余命さん。

2012年衆院選挙を考察する(選挙前)2012-12-12

卑近の例では我が一族の有権者。
普段どこの政党になんて話はしないのだが今回は話が出た。
全員が嫌民主、拒否民主である。前回はどこに投票したのか。
なんとなんと全員が民主党。もちろん小生含めてだ。
(反省、後悔、悔悟の念。期待していただけに....)でもまあどこの政党もにたりよったりだが。
今回選挙は政党公約は二の次、日本人の一番嫌うこと。
嘘をついたやつはゆるさん。
こんな傾向がみてとれる。

初代さんはミンスに入れたと? 騙されやすいんですのぅ。私は自民から動いたことない。下野した時の選挙でもね。
1008 Xday  2016年7月9日

在日特権廃止にブログを立ち上げ、もう4年になろうとしているが、

おいおい、初代が立ち上げたんじゃなかった?

日本人は、先駆者に対する敬意を忘れない。
それが、道半ばにして逝ってしまった戦友であれば、絶対だ。
日本人の普通の感覚ならば「初代が立ち上げてから4年」と書く。人の手柄を自分のことのように語ったりしない。 そして、初代と、前三代目への感謝を書く。節目の記事であれば
これがないのは礼節を欠く態度だ。

考えられることは、2つ。
1、nativeな中国人  =これが伏見ブログの説
2、初代も現余命も三代目Aも同一人物、作られたバーチャルキャラクター。自分に謝辞は述べられない。=これがPOJ仮説

総合するに、おそらく後者であろうと私は思っている。同一人物でなければ、初代の原稿を出版して印税を一人占めとか平気で出来るはずがない。
日中国交正常化前に中国には日本人(それも中国軍などに接触可能なレベルの高い地位)は居なかったことに気づけない=40代前半までと思われる (2012年当初から4年たって現在は、40代後半とすれば、司令の年齢には合うことになる)。東亜板を中心にPOJが活動していたことを考えると、ソ連の視点がスッパリないのも、知の蓄積がないから当然。

 1. はじめに(お願い)へ戻る